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ことを聞え給へば、今はとてかへり給はむ心ちもたとへむかたなし。かくおはしならひて、人しげかりつる名殘なくならむを、思ひわぶる人々、いみじかりし折のさしあたりて悲しかりしさわぎよりもうちしづまりていみじくおぼゆ。時々をりふしをかしやかなる程に聞えかはし給ひし年ごろよりも、かくのどやかにて過ぐし給へる日ごろの御ありさまけはひのなつかしく、なさけぶかうはかなきことにもまめなるかたにも、思ひやり多かる御心ばへを、今は限に見奉りさしつることゝおぼゝれあへり。かの宮よりは、「猶かう參りくることもいと難きを思ひわびて、近うわたい奉るべきことをなむ、たばかり出でたる」と聞え給へり。きさいの宮聞しめしつけて、中納言もかくおろかならず思ひほれてゐたなるは、げにおしなべて思ひがたうこそは誰もおぼさるらめと心苦しがり給ひて、二條院の西の對にわたい給ひて、時々も通ひ給ふべく忍びて聞え給ひければ、女一宮の御方にことよせて、おぼしなるにやとおぼしながら、覺束なかるまじきは嬉しくてのたまふなりけり。さななりと中納言も聞え給うて、三條の宮つくりはてゝ、渡い奉らむことを思ひしものを、かの御かはりになずらへても、見るべかりけるをなど、ひきかへし心ぼそし。宮のおぼしよるめりしすぢはいと似げなきことに思ひはなれて、大かたの御うしろみは我ならでは又誰かはとおぼすとや。