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聞えしに、違へ給はざらましかば、うしろ安からましとこれのみなむうらめしきふしにて、とまりぬべくおぼえ侍る」とのたまへば、「かくいみじう物思ふべき身にやありけむ。いかにもいかにもことざまに、この世を思ひかゝづらふ方の侍らざりつれば、御おもむけに隨ひ聞えずなりにし。今なむくやしう心苦しうもおぼゆる。されども後めたくな思ひ聞え給ひそ」などこしらへて、いと苦しげにしたまへば、修法の阿闍梨どもめし入れさせ、さまざまにげんあるかぎりして加持參らせ給ふ。我も佛を念ぜさせ給ふことかぎりなし。世の中を殊更に厭ひ離れねど、すゝめ給ふ佛などのいとかくいみじきものは思はせ給ふにやあらむ。見るまゝに物の枯れ行くやうにて消えはて給ひぬるはいみじきわざかな。引きとゞむべき方なく、あしずりもしつべく、人のかたくなしと見むこともおぼえず、かぎりと見奉り給ひて、中の君の後れじと思ひ惑ひ給へるさまもことわりなり。あるにもあらず見え給ふを、例のさかしき女ばら、今はいとゆゝしきことゝ引きさけ奉る。中納言の君は、さりともいかゞかゝる事あらじ、夢かとおぼして、おほとなぶらを近うかゝげて見奉り給ふに、隱し給ふ顏も、唯寢給へるやうにて變り給へる所もなくうつくしげにてうち臥し給へるを、かくながらむかしからのやうにても見るわざならましかばと、思ひ惑はる。今はのことゞもする、御ぐしをかきやるに、さとうちにほひたる、たゞありしながらのにほひに、なつかしうかうばしきもありがたう、何事にてこの人を少しもなのめなりしと思ひさまさむ、誠に世の中を思ひ捨てはつるしるべならば、恐しげにうきことの悲しさも、さめぬべきふしをだに見つけさせ給へと佛