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かたみに見はつべきわざなれと思ひしみ給ひて、とあるにてもかゝるにても、いかでこの思ふことしてむとおぼすを、さまでさかしき事はえうち出で給はで中の君に「心地のいよいよたのもしげなくおぼゆるを、いむことなむいとしるしありて、命のぶる事と聞きしを、さやうに阿闍梨にのたまへ」と聞え給へば、皆泣きさわぎて、いとあるまじき御ことなり、かくばかりおぼし惑ふめる中納言殿もいかゞあへなきやうに思ひ聞え給はむと似げなき事に思ひて、たのもし人にも申しつがねば、口惜しうおぼす。かく籠り居給へれば、聞きつぎつゝ御とぶらひにふりはへ物し給ふ人もあり。おろかにおぼされぬことゝ見奉れば、殿人したしきけいしなどは、おのおのよろづの御いのりをせさせ歎ききこゆ。とよのあかりは今日ぞかしと京思ひやり給ふ。風いたう吹きて雪の降るさまあわたゞしう荒れ惑ふ。みやこにはいとかうしもあらじかしと、人やりならず心ぼそうて、疎くて止みぬべきにやと思ふちぎりはつらけれど、恨むべうもあらず。なつかしうらうたげなる御もてなしを、唯しばしにても、例になして思ひつる事ども語らはゞやと思ひ續けてながめ給ふ。光もなくて暮れはてぬ。

 「かきくもり日かげも見えぬ奧山に心をくらすころにもあるかな」。たゞかくておはするをたのみに皆思ひ聞えたり。例の近き方に居給へるに、御几帳などを風のあらはに吹きなせば、中の君奧に入り給ふ。見苦しげなる人々も、かゞやきかくれぬる程に、いと近うよりて、「いかゞおぼさるゝ。心地に思ひ殘すことなく念じ聞ゆるかひなく、御聲をだに聞かずなりにたればいとこそ侘しけれ。おくらかし給はゞいみじうつらからむ」となくなく聞え給ふ。