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む後の思ひ出にも、心ごはく思ひぐまなからじとつゝみ給ひて、はしたなくもえおし放ち給はず。夜もすがら人をそゝのかして、御湯など參らせ奉り給へど、露ばかりまゐる氣色もなし。いみじのわざや、いかにしてかはかけとゞむべきと、言はむ方なく思ひ居給へり。不斷經の曉がたの、居かはりたる聲のいとたふときに、阿闍梨もよゐにさぶらひてねぶりたる、うち驚きて陀羅尼よむ。おいかれにたれどいとくうづきてたのもしう聞ゆ。「いかゞ今夜はおはしましつらむ」など聞ゆるついでに故宮の御事など聞え出でゝ、鼻しばしばうちかみて「いかなる所におはしますらむ。さりとも凉しき方にぞと思ひやり奉るを、さいつころの夢になむ見えおはしましゝ。俗の御かたちにて、世の中を深う厭ひ離れしかば心とまることなかりしを、聊うち思ひしことに亂れてなむ。唯しばしねがひの處を隔たれるを思ふなむいとくやしき。すゝむるわざせよといとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべきことのおぼえ侍らねば、堪へたるにしたがひておこなひし侍る。法師ばら五六人して、なにがしの念佛なむ仕うまつらせ侍る。さては思ひ給へえたること侍りて常不經をなむつかせ侍る」など申すに君もいみじう泣き給ふ。かの世にさへ妨げ聞ゆらむ罪の程を、苦しき心地にもいとゞ消え入りぬばかりおぼえ給ふ。いかでかのまだ定まり給はざらむ先にまうでゝ同じ所にもと聞きふし給へり。阿闍梨はことずくなにて立ちぬ。この常不經そのわたりの里々京までありきけるを、曉の嵐にわびて阿闍梨のさぶらふあたりを尋ねて、中門のもとに居て、いとたふとくつく、ゑかうの末つ方の心ばへいとあはれなり。まらうどもこなたに進みたる御心