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廂は僧の座なれば、東おもての今少しけ近き方に屛風など立てさせて入り居給ふ。中の君苦しとおぼしたれど、この御中を猶もてはなれ給はぬなりけりと皆思ひて、疎くももてなし隔て奉らず。そやよりはじめて、法華經を不斷讀ませ給ふ。聲たふときかぎり十二人していとたふとし。火はこなたの南のまにともして內はくらきに、几帳をひきあげて少しすべり入りて見奉り給へば、おい人ども二三人ぞさぶらふ。中の君はふと隱れ給ひぬれば、いと人ずくなに心ぼそくてふし給へるを、「などか御聲をだに聞かせ給はぬ」とて、御手をとらへて驚かし聞え給へば「心地にはおぼえながら物いふがいと苦しくてなむ。日ごろ音づれ給はざりつれば、覺束なくて過ぎ侍りぬべきにやと口惜しうこそ侍りつれ」と息のしたにのたまふ。かくまたれ奉りつる程まで、參りこざりけることゝて、さくりもよゝとなき給ふ。御ぐしなど少しあつくぞおはしける。「何の罪なる御心ちにか、人の歎きおふこそかくはあなれ」と御耳にさしあてゝ物をおほく聞え給へば、うるさうも恥しうもおぼえて、顏をふたぎ給へり。いとゞなよなよとあえかにて臥し給へるを、空しう見なしていかなる心ちせむと胸もひしけておぼゆ。「日ごろ見奉り給へらむ御心地も、安からずおぼされつらむ。今夜だに心安くうちやすませ給へ。とのゐ人さぶらふべし」と聞え給へば、うしろめたけれど、さるやうこそはとおぼして、少ししぞき給へり。ひたおもてにはあらねどはひよりつゝ見奉り給へば、いと苦しく恥しけれど、かゝるべき契こそありけめとおぼして、こよなうのどやかにうしろやすき御心を、かの片つかたの人に見くらべ奉り給へばあはれとも思ひ知られにたり。空しくなりな