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しく心からおぼえつゝ、をさをさ參り給はず、山里にはいかにいかにととぶらひ聞え給ふ。この月となりては、少しよろしうおはすと聞き給ひけるに、おほやけわたくし物さわがしきころにて、五六日人も奉り給はぬに、いかならむと打ち驚かれて、わりなきことの繁さをうち捨てゝまうで給ふ。ずほふは怠りはて給ふまでとのたまひ置きけるを、よろしくなりにけるとて、阿闍梨をも返し給ひければ、いと人ずくなにて、例のおい人出できて御ありさま聞ゆ。「そこはかといたき處もなく、おどろおどろしからぬ御惱みに物をなむ更に聞し召さぬ。もとより人に似給はず、あえかにおはしますうちに、この宮の御事出で來にし後、いとゞ物おぼしたるさまにて、はかなき御くだものだに御覽じいれざりしつもりにや、あさましく弱くなり給ひて更に賴むべくも見え給はず、世に心憂く侍りける身の命の長さにて、かゝる事を見奉れば、まづいかで先だち聞えなむと、思ふ給へいりて侍り」といひもやらず泣くさまことわりなり。「などか斯とも吿げ給はざりける。院にも內にもあさましう事繁きころにて、日ごろもえ聞えざりつる覺束なさ」とてありし方に入り給ふ。御枕がみ近くて物聞え給へど、御聲もなきやうにてえいらへ給はず。「かく重くなり給ふまで、誰も誰も吿げ給はざりけるがつらう思ふに、かひなき事」と恨みて、例の阿闍梨、大方世にしるしありと聞ゆる人のかぎり、あまたさうじ給ふ。御修法どきやう明くる日より始めさせ給はむとて、とのひとあまた參り集ひ、かみしもの人立ち騷ぎたれば心ぼそさの名殘なくたのもしげなり。暮れぬれば、例のあなたにと聞えて、御湯づけなど參らせむとすれど、近くてだに見奉らむとて、南の