Page:Kokubun taikan 02.pdf/398

提供:Wikisource
このページは校正済みです

は」とておほとなぶら參らせて見給ふ。例のこまやかに書き給ひて、

 「ながむるは同じ雲井をいかなればおぼつかなさをそふる時雨ぞ」。かく袖ひづるなどいふこともやありけむ。耳なれにたるを、猶あらじことゝ見るにつけてもうらめしさまさり給ふ。さばかり世にありがたき御ありさまかたちを、いとゞいかで人にめでられむと、好しくえんにもてなし給へれば、若き人の心よせ奉り給はむもことわりなり。程經るにつけても戀しう、さばかり所せきまで契り置き給ひしを、さりともいとかくては止まじと思ひ直す心ぞ常にそひける。「御かへり今夜參りなむ」と聞ゆれば、これかれそゝのかし聞ゆれば、たゞひとことなむ。

 「あられふる深山のさとは朝夕にながむる空もかきくらしつゝ」。かくいふは神無月のつごもりなりけり。月もへだゝりぬるよと宮はしづ心なくおぼされて、今夜今夜とおぼしつゝ、さはりおほみなる程に、五節など疾く出できたる年にて、うちわたり今めかしくまぎれがちにて、わざともなけれどすぐい給ふ程に、あさましう待ちどほなり。はかなう人を見給ふにつけても、さるは御心にはなるゝ折なし。左の大臣殿のわたりの事、大宮も猶「さるのどやかなる御うしろみをまうけ給ひて、その外の尋ねまほしうおぼさるゝ人あらば參らせておもおもしくもてなし給へ」と聞え給へど、「暫しさ思う給ふるやう」など聞えすまひ給ひて、誠につらきめはいかでか見せむなどおぼす御心を知り給はねば、月日にそへて物をのみおぼす。中納言も、見しほどよりはかろびたる御心かな、さりともと思ひ聞えけるもいとほ