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なる事をも御覽じ知らぬ御心どもには、偏にうらめしなどおぼすこともあらむを、强ひておぼしのどめよ。うしろめたうは世にあらじとなむ思ひ侍る」など人の御上をさへあつかふも、かつはあやしくおぼゆ。よるよるはましていと苦しげにし給ひければ、疎き人の御けはひの近きも中の君の苦しげにおぼしたれば、「猶例のあなたに」と人々聞ゆれど、「ましてかく煩ひ給ふほどの覺束なさを、思ひのまゝに參りきていだし放ち給へれば、いとわりなくなむ。かゝる折の御あつかひも誰かはかばかしく仕うまつる」など辨のおもとに語らひ給ひて、みずほふども始むべきことなどのたまふ。いと見苦しう殊更にもいとはしき身をと聞き給へど、思ひぐまなくのたまはむもうたてあれば、さすがにながらへよと思ひ給へる心ばへもあはれなり。又のあしたに、「少しもよろしくおぼさるや。昨日ばかりにてだに聞えさせむ」とあれば、「日比ふればにや、今日はいと苦しうなむ。さらばこなたに」と言ひ出し給へり。いとあはれにいかに物し給ふべきにかあらむ、ありしよりはなつかしき御氣色なるも胸つぶれておぼゆれば、近うまかでよろづの事を聞え給ふ。「苦しうてえ聞えず、少しためらはむ程に」とて、いとかすかにあはれなるけはひを、限なう心苦しうて歎き居給へり。さすがにつれづれとかくておはしがたければいとうしろめたけれどかへり給ふ。「かゝる御住まひは猶苦しかりけり。處去り給ふにことよせてさるべき處にうつろはし奉らむ」など聞えおきて、阿闍梨にも、御いのり心に入るべくのたまひ知らせて出で給ひぬ。この君の御供なる人の、いつしかとこゝなる若き人を語らひよりたるありけり。おのがじゝの物語に、「かの宮の