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 「いづこよりあきはゆきけむ山里の紅葉のかげはすぎうきものを」。宮の大夫、

 「見し人もなき山里の岩がきにこゝろながくもはへるくずかな」。中においしらひてうちなき給ふ。御子の若くおはしける世のことなど、思ひ出づるなめり。宮、

 「秋はてゝさびしさまさる木のもとをふきなすぐしそ峯の松風」とていたう淚ぐみたまへるを、ほのかに知る人は、げにふかくおぼすなりけり。今日のたよりを過ぐし給ふ御心苦しさと見奉る人あれど、ことごとしく引き續きてえおはしましよらず。つくりける文どものおもしろき所々うちずじ、やまと歌もことにつけて多かれど、かやうのゑひなきのまぎれにましてはかばかしき事あらむやは。かたはし書きとゞめてだに見苦しくなむ。彼處には過ぎ給ひぬるけはひを、遠うなるまで聞ゆるさきの聲々たゞならずおぼえ給ふ。心まうけしつる人々もいと口惜しとおもへり。姬君はまして猶音に聞く月草の色なる御心なりけり。ほのかに人のいふを聞けば「男といふものはそらごとをこそいとよくすなれ。思はぬ人をおもひがほにとりなす言の葉多かるもの」とこの人數ならぬ女ばらの昔物語にいふを、さるなほなほしき中にこそはけしからぬ心あるもまじるらめ、何事もすぢことなるきはになりぬれば、人の聞き思ふことつゝましう所せかるべきものと思ひしはさしもあるまじきわざなりけり。あだめき給へるやうに故宮も聞き傅へ給ひてかうやうにけ近き程までは、おぼしよらざりしものを、あやしきまで心深げにのたまひわたり、思の外に見奉るにつけてさへ、身の憂さを思ひそふるがあぢきなくもあるかな、かう見劣りする御心を、かつはかの中納言もいかに