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れば、

 「女郞花さけるおほ野をふせぎつゝ心せばくやしめをゆふらむ」とたはぶれ給ふ。

 「霧ふかきあしたのはらの女郞花こゝろをよせて見る人ぞみる。なべてやは」などねたまし聞ゆれば「あなかしかまし」とはてはては腹立ち給ひぬ。年頃かくのたまへど、人の御有樣をいかならむとうしろめたく思ひしに、かたちなども見おとし給ふまじく推し量らるゝ心ばせの、ちかおとりするやうもやなどぞあやうく思ひ渡りしを、何事も口惜しくは物し給ふまじかめりと思へば、かのいとほしくうちうちに思ひたばかり給ふ有樣も違ふやうならむもなさけなきやうなるを、さりとてさはたえ思ひ改むまじくおぼゆれば、まづゆづり聞えて、いづ方の恨をもおはじなどしたに思ひ構ふる心をも知り給はで、心せばくとりなし給ふもをかしけれど「例のかろらかなる御心ざまに、物思はせむこそ心苦しかるべけれ」などおやかたになりて聞え給ふ。「よし見給へ。かばかり心にとまることなむまだなかりつる」などいとまめやかにの給へば、「かの心どもにはさもやとうち靡きぬべき氣色は見えずなむ侍る。仕うまつりにくき宮仕にこそ侍れや」とて、おはしますべきやうなどこまかに聞えしらせ給ふ。廿六日彼岸のはてにてよき日なりければ、人知れず心づかひしていみじく忍びてゐて奉る。きさいの宮など聞しめし出でゝはかゝる御ありきいみじくせいし聞え給へばいと煩しきを、せちにおぼしたる事なれば、さりげなくともてあつかふもわりなくなむ。ふなわたりなども所せければ、ことごとしき御やどりなども借り給はず。そのわたりいと近きみさ