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むも、いとほしくなさけなきものに思ひ置かれて、いよいよはじめの思ひかなひ難くやあらむ、とかく言ひ傅へなどすめる、おい人の思はむ所もかろがろしく、とにかくに心を染めけむだに悔しく、かばかりの世の中を思ひすてむの心に、みづからもかなはざりけりと人わろく思ひ知らるゝを、ましておしなべたるすきものゝまねに、同じあたりに返す返す漕ぎめぐらむ、いと人わらへなる棚なし小船めきたるべしなどよもすがら思ひ明し給ひて、まだ有明の空もをかしき程に、兵部卿宮の御方に參り給ふ。三條の宮燒けにし後は、六條院にぞうつろひ給へれば近くては常に參り給ふを、宮もおぼすやうなる御心地し給ひけり。紛るゝことなく、あらまほしき御住ひに、おまへの前栽外のには似ず、同しき花のすがたも木草の靡きざまも、ことに見なされて、遣り水にすめる月の影さへ繪に書きたるやうなるに、思ひつるもしるく起きおはしましけり。風につきて吹き來るにほひのいとしるくうちかをるに、ふとそれと驚かれて、御直衣奉り亂れぬさまに引き繕ひて出で給ふ。はしをのぼりもはてずつい居給へれば、猶うへになどものたまはで、高欄により居給ひて世の中の御物語聞えかはし給ふ。かのわたりのことをも物のついでにおぼし出でゝ、よろづに恨み給ふもわりなしや。みづからの心にだにかなひがたきをと思ふ思ふ、さもおはせなむと思ひなるやうのあれば、例よりはまめやかにあるべきさまなど申し給ふ。あけぐれの程あやにくに霧わたりて空のけはひひやゝかなるに、月は霧に隔てられて木の下も暗くなまめきたり。山里のあはれなるありさま思ひいで給ふ。宮「このごろの程に。必ずおくらかし給ふな」と語らひ給ふを猶煩しが