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ていともてはなれては聞え給ふらむ。何かこれは世の人のいふめる、恐しき神ぞつき奉りつらむ」と齒はうちすきて、あいぎやうなげにいひなす女あり。又「あなまがまがし。なぞのものかつかせ給はむ。たゞ人に遠くておひ出でさせ給ふめれば、かゝる事にもつきづきしげにもてなし聞え給ふ人もなくおはしますに、はしたなくおぼさるゝにこそ。今おのづから見奉りなれ給ひなば思ひ聞え給ひてむ」など語らひて、「とくうちとけて思ふやうにておはしまさなむ」といふいふ寢入りて、いびきなどかたはらいたくするもあり。逢ふ人からにしもあらぬ秋の夜なれど、ほどもなく明けぬるこゝちしていづれとわくべくもあらずなまめかしき御けはひを、人やりならず飽かぬ心ちして、「あひおぼせよ。いと心憂くつらき人の御さま見習ひ給ふなよ」など、のちせを契りて出で給ふ。我ながらあやしく夢のやうにおぼゆれど、猶つれなき人の御氣色、今一度見はてむの心に思ひのどめつゝ、例の出でゝふし給へり。辨參りていとあやしく、「中の君はいづくにおはしますらむ」といふを、いと恥しく思ひかけぬ御心地にいかなりけむことにかと思ひふし給へり。昨日のたまひし事をおぼしいでゝ、姬君をつらしと思ひ聞え給ふ。明けにける光につきてぞ壁の中のきりぎりすはひいで給へる。おぼすらむことのいといとほしければ、かたみに物もいはれ給はず。ゆかしげなう心憂くもあるかな、今より後も心ゆるびすべくもあらぬ世にこそと思ひ亂れ給へり。辨はあなたに參りて、あさましかりける御心つよさを聞き顯して、いとあまりふかく人にくかりけることゝいとほしくおもほれ居たり。「きし方のつらさは猶殘りあるこゝちして、よろづに思ひ慰め