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つぶやき聞ゆ。御ぶくなどはてゝ、脫ぎ捨てたまへるにつけても「片時も後れ奉らむものと思はざりしを、はかなく過ぎにける月日のほどをおぼすに、いみじう思の外なる身のうさ」と泣きしづみ給へる御さまどもいと心苦しげなり。月頃くらうならはし給へる御姿、うすにびにていとなまめかしうて中の君はげにいと盛にて、美くしげなるにほひまさり給へり。御ぐしなどすましつくろはせて見奉り給ふに、世の物思忘るゝ心ちしてめでたければ、人知れず思ふさまにかなひて、人に見え給はむにさりともちかおとりしては思はずやあらむとたのもしう嬉しうて、今は又見ゆづる人もなく、親心にかしづきたてゝ見聞え給ふ。かの人はつゝみ聞え給ひし藤の衣も改め給へつらむ、なが月もしづ心なくて又おはしたり。「例のやうに聞えむ」と又御せうそこあるに、「心あやまりして、煩しうおぼゆれば」ととかう聞えすまひて對面し給はず。「思の外に心憂き御心かな。人もいかに思ひ侍らむ」と御文にて聞え給へり。「今はとて脫ぎ捨て侍りし程の心まどひに、なかなかしづみ侍りてなむ聞えぬ」とあり。恨み侘びて、例の人召してよろづにのたまふ。世にしらぬ心ぼそさのなぐさめにはこの君をのみ賴み聞えたる人々なれは、思ひにかなひ給ひて世の常のすみかにうつろひなどし給はむを、いとめでたかるべき事にいひあはせて、「唯入れ奉らむ」と皆語らひ合せけり。姬君その氣色をば深う見しり給はねど、かうとりわきて人めかしなづけ給ふめるに、うちとけてうしろめたき心もやあらむ、昔物語にも心もてやは、とあるかゝることもあめる、うちとくまじきは人の心にこそあめれと思ひより給ひて、せめてうらみふかくはこの君をおし出で