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給へる御くせどもに侍ればにや、いかにもいかにも世のつねになにやかやなどおもひより給へる御氣色になむ侍らぬ。かくてさぶらふこれかれも、年比だに何のたのもしげある木の本のかくろへも侍らざりき。身を捨て難く思ふかぎりはほどほどにつけてまかでちり、昔のふるきすぢなる人も、多く見奉りすてたるあたりに、まして今は暫しも立ちとまり難げに侘び侍りつゝ、おはしましゝ世にこそ限ありてかたほならむ御有樣はいとほしくもなど、こだいなる御うるはしさにおぼし滯りつれ。今はかう又たのみなき御身どもにて、いかにもいかにも世に靡き給へらむを、あながちに譏り聞えむ人は、かへりて物の心をも知らずいふかひなき事にこそはあらめ。いかなる人かいとかうて世をばすぐしはて給ふべき。松の葉をすきてつとむる山伏だに生ける身の捨て難さによりてこそは、佛の御敎をも道々別れては行ひなすなれ、などやうの善からぬ事を聞え知らせ、若き御心ども亂れ給ひぬべき事多く侍るめれど、たわむべくもものし給はず、中の君をなむいかで人めかしうもあつかひなし奉らむと思ひ聞え給ふべかめる。かく山深う尋ね聞えさせ給ふめる御志の、年經て見奉りなれ給へるけはひも疎からず思ひ聞えさせ給ひ、今はとざまかうざまにこまかなるすぢに聞え通ひ給ふめるに、かの御方をさやうに趣けて聞え給はゞとなむおぼすべかめる。宮の御文など侍るめるは更にまめまめしき御事ならじと侍るめる」と聞ゆれば、「あはれなる御一言を聞き置き奉りにしかば、露の世にかゝづらはむかぎりは、聞え通はむの心あれば、いづかたにも見え奉らむ。同じ事なるべきを、さまではた、おぼしよるなる、いと嬉しき事なれど、心の引くかたなむかばかり思ひ捨つるよに猶とまりぬべきものなりければ、改めてさはえ思ひ直