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て世づきたる方を思ひ絕ゆべくおぼしおきてけるとなむ思ひ合せ侍れば、ともかくも聞えむ方なくて、さるは少し世ごもりたるほどにてみやまがくれには心苦しう見え給ふ人の御うへを、いとかく朽木にはなしはてずもがなと人知れずあつかはしうおぼえ侍れば、いかなるべき世にかあらむ」とうち歎きて物思ひ亂れ給ひけるけはひいとあはれげなり。けざやかにおとなびてもいかでかはさかしがり給はむとことわりにて、例のふる人召し出でゝぞ語らひ給ふ。「年頃は唯後の世ざまの心ばへにて進み參りそめしを、物心ぼそげにおぼしなるめりし御末の頃ほひ、この事どもを心に任せてもてなし聞ゆべくなむのたまひ契りてしを、おぼしおきて奉り給ひし御有樣どもには違ひて、御心ばへどものいとゞあやにくに物つよげなるはいかにおぼし置きつる方の事なるにや〈か歟〉と疑はしき事さへそひてなむ。おのづから聞き傅へ給ふやうもあらむ。いとあやしき本性にて、世の中に心をしむる方なかりつるを、さるべきにてやかうまでも聞えなれにけむ。世の人もやうやういひなすやうあるべかめるに、同じうは昔の御事も違へ聞えず、我も人も世の常に心とけて聞え通はゞやと思ひよるは、つきなかるべき事にてもさやうなるためしなくやはある」などのたまひ續けて、「宮の御事をもかう聞ゆるにうしろめたうはあらじとうちとけ給ふさまならぬはうちうちにさりとも思ほしむけたる事のさまあらむ。猶いかにいかに」とうち眺めつゝのたまへば、例のわろびたる女房などは、かゝる事にはにくきさかしらもいひまぜてことよがりなどもすめるを、いとさはあらず、心の中には、あらまほしかるべき御事どもをと思へど、「もとよりかく人に違ひ