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たよりなりけるを思ひ出で給ふ。御願文つくり、經ほとけ供養せらるべき心ばへなど書き出で給へる硯のついでに、まらうど、

 「あげまきに長きちぎりを結びこめおなじ所によりもあはなむ」と書きて見せ奉り給へば、例のとうるさければ、

 「ぬきもあへずもろき淚の玉のをに長きちぎりをいかゞむすばむ」とあれば、「あはずはなにを」とうらめしげに眺め給ふ。自らの御うへは、かくそこはかとなくもてけちて恥しげなるに、すかすかともえのたまひよらで、宮の御事をぞまめやかに聞え給ふ。さしも御心に入るまじきことを、かやうの方に少しすゝみ給へる御本性にて聞えそめ給ひけむ、まけじたましひにやととざまかうざまにいとよくなむ御氣色見奉る。「誠にうしろめたうはなるまじげなるを、などかうあながちにしももてはなれ給ふらむ。世の有樣などおぼしわくまじくは見奉らぬを、うたて遠々しくのみもてなさせ給へば、かばかりうらなくたのみ聞ゆる心に違ひてうらめしくなむ。ともかくもおぼしわくらむさまなどを、さはやかにうけ給はりにしがな」といとまめだちて聞え給へば、「違へ聞えじの心にてこそは、かうまであやしき世のためしなる有樣にてへだてなくもてなし侍れ。それをおぼしわかざりけるこそは、淺き事もまじりたる心地すれ。げにかゝる住ひなどに心あらむ人は思ひ殘すことあるまじきを、何事にも後れそめにけるうちにこののたまふめるすぢは、いにしへも更にかけて、とあらばかゝらばなど行く末のあらましごとにとりまぜてのたまひ置く事もなかりしかば、猶かゝるさまに