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なるべし、末少しほそりて、色なりとかいふめるひすゐだちていとをかしげにいとをよりかけたるやうなり。紫の紙に書きたる經を、片手に持ちたまへる手つき、かれよりもほそさまさりてやせやせなるべし。立ちたりつる君もさうじ口に居て、何事にかあらむ、こなたを見おこせて笑ひたる、いとあいぎやうづきたり。


總角

あまた年耳なれ給ひにし河風も、この秋はいとはしたなく物悲しくて、御はての事急がせ給ふ。大方のあるべかしきことゞもは、中納言殿、阿闍梨などぞ仕うまつり給ひける。こゝには法服の事、經のかざり、こまかなる御あつかひを、人の聞ゆるに從ひて營み給ふも、いとものはかなくあはれに、かゝるよその御後見なからましかばと見えたり。みづからも詣で給ひていまはと脱ぎ捨て給ふ程の御とぶらひあさからず聞え給ふ。阿闍梨もこゝに參れり。みやうがうの絲ひき亂りて、「かくても經ぬる」などうち語らひ給ふほどなりけり。結びあげたるたゝりのすだれのつまより几帳のほころびにすきて見えければ、その事と心得て「我が淚をば玉にぬかなむ」とうちずし給へり。伊勢のごもかうこそはありけめとをかしう聞ゆるも、うちの人は聞き知りがほにさしいらへ給はむもつゝましくて、物とはなしにとか貫之がこの世ながらの別をだに心ぼそきすぢにひきかけゝむをなど、げにふることぞ人の心をのぶる