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 「いづくとか尋ねて折らむ墨染に霞こめたるやどのさくらを」。猶かくさしはなちてつれなき御氣色の見ゆれば、誠に心うしとおぼしわたる。御心に餘り給ひては、唯中納言を、とざまかうざまに責め恨み聞え給へば、をかしと思ひながら、いとうけばりたる後見顏にうちいらへ聞えて、あだめいたる御心ざまをも見顯す時々は、「いかでかかゝらむには」など申し給へば、宮も御心づかひし給ふべし。「心にかなふあたりをまだ見つけぬ程ぞや」とのたまふ。おまい殿の六の君をおぼし入れぬこと、なまうらめしげにおとゞもおぼしたりけり。されどゆかしげなきなからひなるうちにも、おとゞのことごとしく煩しくて何事のまぎれをも見咎められむがむつかしきと、したにはのたまひてすまひ給ふ。その年三條の宮燒けて、入道宮も六條院にうつろひ給ひ、何くれと物騷しきにまぎれて、宇治のわたりを久しう音づれ聞え給はず。まめやかなる人の御心は又いとことなりければ、いとのどかにおのがものとはうち賴みながら、女の心ゆるび給はざらむかぎりはあさればみなさけなきさまに見えじと思ひつゝ、昔の御心忘れぬ方を深く見知り給へとおぼす。その年常よりも暑さを人々わぶるに、河づら凉しからむはやと思ひ出でゝ、俄にまうで給へり。朝すゞみの程に出で給ひければ、あやにくにさしくる日影もまばゆくて宮のおはせし西の廂に殿居人召し出でゝおはす。そなたのもやの佛の御まへに、君達ものし給ひけるを、けぢかゝらじとて、我が御方にわたり給ふ。御けはひ忍びたれどおのづからうちみじろき給ふ程近く聞えければ、猶あらじにこなたに通ふさうじのはしの方にかけがねしたる所に、穴の少しあきたるを見置き給へり