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ことなど見せ給ふまじき氣色になむ。人の見奉り知らぬことをいとよう見聞きたるを、もし似つかはしくさもやとおぼしよらば、そのもてなしなどは心のかぎり盡して仕うまつりてむかし。御中道のほどみだりあしこそいたからめ」といとまめやかにていひ續け給へば、我が御みづからの事とはおぼしもかけず、人の親めきていらへむかしとおぼしめぐらし給へど、猶いふべき言の葉もなき心ちして、「いかにとかはかけがけしげにのたまひ續くるに、なかなか聞えむことも覺え侍らで」とうち笑ひ給へるも、おいらかなるものからけはひをかしう聞ゆ。「必ず御自ら聞しめしおふべき事とも思ひ給へず。それは雪を踏み分けて參り來たる志ばかりを御覽じわかむ。御このかみ心にても過ぐさせ給ひてよかし。かの御心よせは又ことにぞはべかめる。ほのかにのたまふさまもはべめりしを、いさやそれも人のわき聞え難きことなり。御かへりなどはいづかたにかは聞え給ふ」と問ひ申し給ふに、ようぞたはぶれにも聞えざりける、何となけれどかうのたまふにもいかに恥しう胸つぶれましと思ふに、え答へやり給はず。

 「雪ふかき山のかけはし君ならでまたふみ通ふあとを見ぬかな」と書きてさし出し給へれば、「御ものあらがひこそなかなか心おかれ侍りぬべけれ」とて、

 「つらゝとぢこまふみしだく山河をしるべしがてらまづや渡らむ。さらばしも、かげさへ見ゆるしるしも淺うは侍らじ」と聞え給へば、思はずにものしうなりて殊にいらへ給はず。けざやかにいと物遠くすゝみたるさまには見え給はねど今やうの若人達のやうにえんげに