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ても、宮の待ち喜び給ひし御氣色などを人々も聞え出づ。たいめし給ふことをばつゝましくのみおぼいたれど、思ひくまなきやうに人の思ひ給へれば、いかゞはせむとて聞え給ふ。うちとくとはなけれど、さきざきよりは少し言の葉續けて、物などのたまへるさまいとめやすく心恥しげなり。かやうにてのみはえすぐしはつまじと思ひなり給ふも、いとうちつけなる心かな。猶移りぬべき世なりけりと思ひ居給へり。「宮のいとあやしく恨み給ふことの侍るかな。哀なりし御一ことを承り置きしさまなど、事の序にもや漏し聞えたりけむ。又いと隈なき御心のさがにて推し量り給ふにや侍らむ。こゝになむともかくも聞えさせなすべきとたのむを、つれなき御氣色なるはもてそこなひ聞ゆるぞと度々怨じ給へば、心より外なる事と思ひ給へれど、里のしるべいとこよなうもえあらがひ聞えぬを、何かはいとさしももてなし聞え給ふらむ。すい給へるやうに人は聞えなすべかめれど、心の底怪しう深うおはする宮なり。なほざりごとなどのたまふわたりの、心がらうて靡きやすなるなどを珍しからぬものに思ひおとし給ふにやとなむ聞くことも侍る。なに事にもあるに從ひて心をたつる方もなく、おどけたる人こそ、唯世のもてなしに從ひてとあるもかゝるもなのめに見なし少し心に違ふふしあるにもいかゞはせむ、さるべきぞなども思ひなすべかめれば、なかなか心長きためしになるやうもあり、くづれそめては、龍田の川の濁る名をもけがし、いふかひなく名殘なきやうなることなども皆うちまじるめれ。心の深くしみ給ふべかめる御心ざまにかなひ、事に背くこと多くなどもし給はざらむをば、更にかろがろしくはじめをはり違ふやうなる