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ち出でゝしがな」と心をけたずいふもありがたきことかなと聞き給ふ。向ひの山にも時々の御念佛に籠り給ひし故こそ、人もまゐりかよひしか、阿闍梨もいかゞと大方にまれに音づれ聞ゆれど、今は何しにかはほのめき參らむ、いとゞ人目の絕えはつるもさるべきことゝ思ひながら、いと悲しくなむ。何とも見ざりしやまがつもおはしまさで後たまさかにさしのぞき參るは、めづらしく覺え給ふ。この比の事とてたきゞこのみ拾ひて參る山人どもあり。阿闍梨のむろより炭などやうの物奉るとて、「年比に習ひ侍りにける宮仕の、今はとて絕え侍らむが心ぼそきになむ」と聞えたり。必ず冬ごもる山風防ぎつべき綿きぬなど遣しゝを、おぼし出でゝやり給ふ。法師ばらわらはべなどののぼり行くも見えみ見えずみいと雪深きを、泣く泣く立ち出でゝ見送り給ふ。「みぐしなどおろい給うてもさる方にておはしまさましかばかやうに通ひ參る人もおのづから繁からまし。いかに哀に心ぼそくとも、あひ見奉ること絕えて止まゝしやは」などかたらひ給ふ。

 「君なくて岩のかげ道絕えしより松の雪をもなにとかは見る」。中の君、

 「奧山の松葉につもる雪とだに消えにし人を思はましかば。うらやましくぞまたもふりそふや」。中納言の君は、新しき年はふとしもえとぶらひ聞えざらむと覺しておはしたり。雪もいとゞ所せきによろしき人だに見えずなりにたるを、なのめならぬけはひしてかろらかに物し給へる心ばへの、淺うはあらず思ひ知られ給へれば、例よりはみいれておましなどひきつくろはせ給ふ。墨染ならぬ御火桶、物の奧なる取り出でゝ、塵かき拂ひなどするにつけ