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こはかとなく苦しうなむ。少しもよろしうならば今ねんじて」などことばにて聞え給ふ。阿闍梨つとさぶらひて仕うまつりけり。「はかなき御なやみと見ゆれどかぎりのたびにもおはしますらむ。君達の御事何かおぼし嘆くべき。人は皆御宿世といふものことごとなれば御心にかゝるべきにもおはしまさず」といよいよおぼし離るべきことを聞え知らせつゝ、「今さらにな出で給ひそ」と諫め申すなりけり。八月二十日のほどなりけり。大方の空の氣色もいとゞしきころ、君だちは朝夕霧の晴るゝ間もなくおぼし嘆きつゝながめ給ふ。有明の月のいと華やかにさし出でゝ水のおもてもさやかに澄みたるを、そなたの蔀あげさせて見出し給へるに、鐘の聲かすかに響きて明けぬなりと聞ゆるほどに人きて、「この夜中ばかりになむうせ給ひぬる」となくなく申す。心にかけていかにとは絕えず思ひ聞え給へれど、うち聞き給ふにはあさましく物おぼえぬ心地して、いとゞかゝることに淚もいづちかいにけむ、たゞうつぶし臥し給へり。いみじきことも見る目の前にて覺束なからぬこそ常のことなれ。覺束なさそひて、おぼし歎くことことわりなり。しばしにても後れ奉りて世にあるべきものとおぼしならはぬ御心地どもにて、いかでかは後れじと泣きしづみ給へど、かぎりある道なりければ何のかひなし。阿ざ梨年頃契り置き給ひけるまゝに後の御事もよろづに仕うまつる。「なき人になり給へらむ御さまかたちをだに今一度見奉らむ」とおぼしのたまへど「今更になでふさることかは侍るべき。日頃も又逢ひ見給ふまじきことを聞え知らせつれば、今はましてかたみに御心とゞめ給ふまじき御心づかひを習ひ給ふべきなり」とのみ聞ゆ。おはしましけ