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かは若き人の堪へ籠りてはすぐい給はむと淚ぐみつゝねんずし給ふさまいと淸げなり。おとなびたる人々召し出でゝ、「うしろやすく仕うまつれ。何事ももとよりかやすく世に聞えあるまじききはの人は、末のおとろへも常の事にてまぎれぬべかめり。かゝるきはになりぬれば人は何とも思はざらめど、口惜しうてさすらへむ契かたじけなくいとほしきことなむ多かるべき。物さびしく心ぼそき世を經るは例のことなり。生れたる家のほどおきてのまゝにもてなしたらむなむ、きゝみゝにも我が心ちにもあやまちなくはおぼゆべき。にぎはゝしく人かずめかむと思ふとも、その心にもかなふまじき世とならば、ゆめゆめかろがろしく善からぬ方にもてなし聞ゆな」などのたまふ。まだ曉に出で給ふとてもこなたに渡り給ひて、「なからむ程心ぼそくなおぼしわびそ。心ばかりはやりて遊びなどはし給へ。何事も思ひにえかなふまじき世をなおぼしいれそ」など顧みがちにて出で給ひぬ。ふた所いとゞ心ぼそく物思ひ續けられて、起き臥しうち語らひつゝ、「ひとりひとりなからましかばいかでか明しくらさまし。今ゆくすゑも定めなき世にて若し別るゝやうもあらば」など泣きみ笑ひみ、たはぶれごともまめごとも同じ心に慰めかはして過し給ふ。かの行ひ給ふ三昧今日はてぬらむといつしかと待ち聞え給ふ夕暮に、人まゐりて「今朝よりなやましうてなむえ參らぬ。風かとてとかくつくろふとものする程になむ。さるは例よりも對面心もとなきを」と聞え給へり。胸つぶれていかなるにかとおぼし歎き御ぞども綿厚くていそぎせさせ給ひて奉れなどし給ふ。二三日はおり給はず、いかにいかにと人奉り給へど「殊におどろおどろしくはあらず。そ