Page:Kokubun taikan 02.pdf/336

提供:Wikisource
このページは校正済みです

もあらではかなきさまにもてなしつゝ折々に聞えかはし給ふ。秋深くなり行くまゝに、宮はいみじう物心ぼそくおぼえ給ひければ、例の靜なる所にて念佛をもまぎれなくせむとおぼして、君達にもさるべき事聞え給ふ。「世の事としてつひの別を遁れぬわざなめれど、思ひ慰む方ありてこそ悲しさをもさますものなめれ。又見ゆづる人もなく心ぼそげなる御有樣どもをうちすてゝむがいみじきこと。されどもさばかりの事に妨げられて長き世の闇にさへ惑はむがやくなさ。かつ見奉るほどだに思ひすつる世を、さりなむうしろの事知るべきことにはあらねど、我が身ひとつにあらず、過ぎ給ひにし御おもてぶせにかるがるしき心どもつかひ給ふな。おぼろげのよすがならで人のことにうちなびきこの山里をあくがれ給ふな。たゞかう人に違ひたるちぎりことなる身とおぼしなして、こゝに世をつくしてむと思ひとり給へ。ひたぶるに思ひしなせばことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして女はさる方に堪へ籠りて、いちじるくいとほしげなるよそのもどきを、おはざらむなむよかるべき」などのたまふ。ともかくも身のならむやうまではおぼしも流されず、唯いかにしてか後れ奉りては世に片時もながらふべきとおぼすに、かく心ぼそきさまの御あらましごとに、いふかたなき御心まどひどもになむ。心のうちにこそ思ひ捨て給ひつらめど、明暮御傍にならはい給ひて、俄に別れ給はむはつらき心ならねど、げにうらめしかるべき御有樣になむありける。あす入り給はむとての日は例ならずこなたかなたたゝずみありき給ひて見給ふ。「いとものはかなくかりそめのやどりにてすぐい給ひける御住ひのありさまを、なからむ後いかにして