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ぼす。花ざかりにて、四方の霞もながめやる程の見所あるに、からのもやまとのも歌ども多かれど、うるさくて尋ねも聞かぬなり。物さわがしくて思ふまゝにもえいひやらずなりにしを飽かず宮はおぼして、しるべなくても御文は常にありける。宮の「猶聞えたまへ。わざとけさうだちてももてなさじ。なかなか心時めきにもなりぬべし。いとすき給へるみこなればかゝる人など聞き給ふが、猶もあらぬすさびなめり」とそゝのかし給ふ。時々中の君ぞ聞え給ふ。姬君はかやうのこと、たはぶれにももてはなれ給へる御心深さなり。いつとなく心ぼそき御有樣に、春のつれづれはいとゞ暮し難くながめ給ふ。ねびまさり給ふ御さまかたちどもいよいよまさり、あらまほしくをかしきもなかなか心苦しう、かたほにもおはせましかばあたらしくをしき方の思ひは薄くやあらましなど明暮おぼしみだる。姉君廿五、中の君廿二にぞなり給ひける。宮は重く愼み給ふべき年なりけり。物心ぼそくおぼして、御おこなひ常よりもたゆみなくし給ふ。世に心とゞめ給はねば出でたちいそぎをのみおぼせば、凉しき道にも赴き給ひぬべきを、唯この御事どものいといとほしく、かぎりなき御心づよさなれど、必ず今はと見捨て給はむ御心は亂れなむと、見奉る人もおしはかりきこゆるを、おぼすさまにはあらずともなのめにさても人ぎゝくちをしかるまじう、見ゆるされぬべききはの人の、まごゝろにうしろみ聞えむなど思ひより聞ゆるあらば知らずがほにてゆるしてむ、ひとところ世に住みつき給ふよすがあらば、それを見ゆづる方にて慰めおくべきを、さまで深き心に尋ね聞ゆる人もなし。まれまれははかなきたよりにすきごと聞えなどする人、また若々しき人