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ますさまじとおぼしたるに、宰相の中將、今日の御迎へに參りあひ給へるになかなか心やすくて、かのわたりのけしきも傳へよらむと御心ゆきぬ。おとゞをばうちとけて見えにくゝことごとしきものに思ひ聞え給へり。御子の公達、右大辨、侍從の宰相、權中將、頭少將、藏人の兵衞佐など皆さぶらひ給ふ。帝后も心ことに思ひ聞え給へる宮なれば大かたの御おぼえもいとかぎりなく、まいて六條院の御かたざまはつきづきの人も、皆私の君に心よせ仕うまつり給ふ。所につけたる御しつらひなどをかしうしなして、碁すぐろくたぎのばんどもなどとり出でゝ、心々にすさびくらし給ひつ。宮はならひ給はぬ御ありきに惱ましくおぼされて、こゝにやすらはむの御心も深ければ、うちやすみ給ひて夕つ方ぞ御琴などめして遊び給ふ。例のかう世ばなれたる所は水の音ももてはやして、物の音すみまさる心地して、かのひじりの宮にも唯さしわたる程なれば、追風に吹き來るひゞきを聞き給ふに、昔の事おぼし出でられて、「笛をいとをかしくも吹きとほしたるかな。誰ならむ。昔の六條院の御笛の音聞きしはいとをかしげに愛敬づきたるねにこそ吹き給ひしか。これは澄みのぼりて、ことごとしきけのそひたるは、致仕のおとゞの御ぞうの笛の音にこそ似たなれ」などひとりごちおはす。「哀に久しくなりにけるや。かやうの遊などもせで、あるにもあらですぐし來にける年月の、さすがに多く算へらるゝこそかひなけれ」などのたまふついでにも、姬君たちの御有樣あたらしく、かゝる山ふところにひき籠めては、止まずもがなとおぼし續けらる。宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、さしも思ひよるまじかめり、まいて今やうの心淺