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いと亂りがはしくて「侍從の君に」と上には書きつけたり。しみといふ蟲のすみかになりてふるめきたるかびくさゝながらあとは消えず。唯今書きたらむにもたがはぬ言の葉どものこまごまとさだかなるを見給ふにげに落ち散りたらましかばとうしろめたういとほしきことどもなり。かゝること世にまたあらむやと心ひとつにいとゞ物思はしさそひて、內へ參らむとおぼしつるも出でたゝれず。宮の御前に參り給へればいと何心もなく若やかなるさまし給ひて經讀み給ふを恥ぢらひてもてかくし給へり。何かはしりにけりとも知られ奉らむなど心にこめてよろづに思ひ居たまへり。


椎本

二月の二十日のほどに兵部卿の宮初瀨にまうで給ふ。ふるき御願なりけれどおぼしもたゝで年頃になりにけるを、宇治のわたりの御中やどりのゆかしさに、多くはもよほされ給へるなるべし。うらめしといふ人もありける里の名の、なべてむつましうおぼさるゝ故もはかなしや。上達部いとあまた仕うまつり給ふ。殿上人などはさらにもいはず世に殘る人少く仕うまつれり。六條院よりつたはりて右の大殿しり給ふ所は、河よりをちにいと廣くおもしろくてあるに、御まうけせさせ給へり。おとゞもかへさの御迎へに參り給ふべくおぼしたるを俄なる御物忌の重く愼み給ふべく申したれば、え參らぬよしのかしこまり申し給へり。宮、な