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の給ふ。さて曉方宮の御行し給ふほどにかのおい人召し出でゝあひ給へり。姬君の御後見にて侍はせ給ふ。辨の君とぞいひける。年は六十にすこし足らぬほどなれどみやびかに故あるけはひしてものなど聞ゆ。故權大納言の君の世とともに物を思ひつゝ病づきはかなくなり給ひにし有樣を聞え出でゝ泣くことかぎりなし。げによその人の上と聞かむだに哀なるべきふる事どもをまして年比覺束なくゆかしういかなりけむ事のはじめにかと佛にもこのことをさだかに知らせ給へと念じつるしるしにや、かく夢のやうに哀なる昔がたりを覺えぬついでに聞きつけつらむとおぼすに淚とゞめがたかりけり。「さてもかくその世の心知りたる人も殘り給へりけるを珍らかにも恥しうも覺ゆることのすぢに猶かくいひ傅ふるたぐひやまたもあらむ。年ごろかけても聞き及ばざりけるを」との給へば「小侍從と辨とはなちて又知る人侍らじ。ひとことにても又こと人にまねび侍らず。かくものはかなく數ならぬ身のほどに侍れど、よるひるかの御かげにつき奉りて侍りしかば、おのづから物の氣色をも見奉りそめしに御心よりあまりておぼしける時々唯二人の中になむ、たまさかの御せうそこの通ひも侍りし。かたはらいたければ委しく聞えさせず。今はのとぢめになり給ひていさゝかのたまひおく事の侍りしを、かゝる身には置き所なくいぶせく思う給へ渡りつゝ、いかにしてかは聞し召し傅ふべきと、はかばかしからぬねんずのついでにも思ひ給へつるを、佛は世におはしましけりとなむ思う給へ知りぬる。御覽ぜさすべきものも侍り。今は何かは燒きも捨て侍りなむ。かく朝夕のきえを知らぬ身のうち拾て侍りなば落ち散るやうもこそといとう