Page:Kokubun taikan 02.pdf/324

提供:Wikisource
このページは校正済みです

りてしらべ給ふ。「更にほのかに聞き侍りし同じものとも思ひ給へられざりけり。御琴の響がらにやとこそ思ひ給へしか」とて心とけてもかきたて給はず。「いであなさがなや。しか御耳とまるばかりのてなどはいづくよりか此處までは傅はりこむ。あるまじき御事なり」とてきんかきならし給へるいと哀に心凄し。かたへは峯の松風のもてはやすなるべし。いとたどたどしげにおぼめき給ひて心ばへある手ひとつばかりにてやめ給ひつ。「このわたりに覺えなくて折々ほのめく箏の琴の手こそ心得たるにやと聞く折侍れど心留めてなどもあらで久しうなりにけりや。心にまかせて各かきならすべかめるは河波ばかりやうち合すらむ。ろなうものゝようにすばかりのはうしなどもとまらじとなむ覺え侍る」とて「かきならし給へ」と彼方に聞え給へど「思ひよらざりしひとりごとを聞き給ひけむだにある物をいと片はならむ」とひきいりつゝ皆聞き給はず。度々そゝのかし聞え給へどとかく聞えすまひてやみ給ひぬればいと口惜しう覺ゆ。そのついでにもかく怪しう世づかぬ思ひやりにてすぐす有樣どもの思の外なることなど恥しうおぼいたり。「人にだにいかで知らせじとはぐゝみすぐせど今日明日とも知らぬ身ののこりすくなさにさすがに行く末遠き人はおちあふれてさすらへむこと、これのみこそげに世を離れむきはのほだしなりけれ」と打ち語らひ給へば心苦しう見奉り給ふ。「わざとの御後見だちはかばかしきすぢに侍らずともうとうとしからずおぼし召されむとなむ思ひ給ふる。しばしもながらへ侍らむ命のほどはひとこともかく打ち出で聞えさせてむさまをたがへ侍るまじくなむ」など申し給へば「いと嬉しきこと」とおぼし