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人めいてもてなし給へば思はずに物おぼしわかざりけりと、うらめしうなむ」とてとのゐびとがしつらひたる西面におはしてながめ給ふ。「あじろは人さわがしげなり。されどひをもよらぬにやあらむすさまじげなる氣色なり」と御供の人々見知りていふ。あやしき船どもに柴刈り積みおのおの何となき世のいとなみどもに行きかふさまどものはかなき水の上に浮びたる、誰も思へば同じことなる世のつねなさなり。我はうかばず玉の臺にしづけき身と思ふべき世かはと思ひつゞけらる。硯召してあなたに聞え給ふ。

 「はし姬の心をくみてたかせさす棹のしづくにそでぞぬれぬる。ながめ給ふらむかし」とてとのゐびとにもたせ給へり。寒げにいらゝぎたる顏してもて參る。御かへし紙のかなどおぼろげならむは恥しげなるを、疾きをこそはかゝるをりはとて、

 「さしかへる宇治の川をさ朝夕のしづくや袖をくたしはつらむ。身さへうきて」といとをかしげに書き給へり。まほにめやすく物し給ひけりと心とまりぬれど御車ゐて參りぬと人々さわがし聞ゆればとのゐびとばかりを召しよせて「かへり渡らせ給はむほどに必ず參るべし」などのたまふ。ぬれたる御ぞどもは皆この人にぬぎかけ給ひてとりにつかはしつる御直衣に奉りかへつ。おい人の物語心にかゝりておぼし出でらる。思ひしよりはこよなくまさりておほどかにをかしかりつる御けはひども面かげに添ひて、猶思ひ離れがたき世なりけりと心弱く思ひ知らる。御文奉り給ふ。けさうだちてもあらず、白き色紙のあつごえたるに筆はひきつくろひえりて墨つき見所ありて書き給ふ。「うちつけなるさまにやとあいなく留