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さまにも心よせ仕う奉り給ふこと三年ばかりになりぬ。秋の末つ方四季にあてつゝし給ふ御念佛を、この河づらはあじろの浪もこのごろはいとゞ耳かしかましく靜ならぬをとて、かの阿闍梨の住む寺の堂にうつろひ給ひて七日のほど行ひ給ふ。姬君達はいと心ぼそくつれづれまさりてながめ給ひけるころ、中將の君久しく參らぬかなと思ひ出で聞え給うけるまゝに、有明の月のまだ夜深くさし出づるほどに出でたちて、いと忍びて御供に人などもなくやつれておはしけり。河のこなたなれば船などもわづらはで御馬にてなりけり。入りもて行くまゝに霧ふたがりて道も見えぬ繁木の中をわけ給ふに、いとあらましき風のきほひにほろほろと落ち亂るゝ木の葉の露の散りかゝるもいとひやゝかに人やりならずいたくぬれ給ひぬ。かゝるありきなどもをさをさならひ給はぬ心地に心ぼそくをかしくおぼされけり。

 「山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろき我が淚かな」。やまがつの驚くもうるさしとてずゐじんの音もせさせ給はず、柴の籬をわけつゝそこはかとなき水の流れどもをふみしだく駒の足音も猶忍びてと用意し給へるに、かくれなき御にほひぞ風にしたがひて、ぬし知らぬかとおどろくねざめの家々ぞありける。近くなるほどにその事とも聞き別れぬ物の音どもいとすごげに聞ゆ。常にかく遊び給ふと聞くをついでなくて御子の御きんの音の名高きも得聞かぬぞかし、よき折なるべしと思ひつゝ入り給へば、琵琶の聲のひゞきなりけり。わうしきでうにしらべて世の常のかきあはせなれど所がらにや耳馴れぬ心地して、搔き返すばちの音も物淸げにおもしろし。箏の琴哀になまめいたる聲してたえだえ聞ゆ。し