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氣色ばみよりて人の御心ばへをも見まほしうさすがにいかゞとゆかしうもある御けはひなり。されどさるかたを思ひ離るゝ願ひに山深く尋ね聞えたるほいなくすきずきしきなほざりごとを打ち出であざればまむもことにたがひてやなど思ひ返して、宮の御有樣のいと哀なるをねんごろにとぶらひ聞え給ひ、たびたび參り給ひつゝ思ひしやうにうばそくながら行ふ山の深き心、法文などわざとさかしげにはあらでいとよくのたまひしらす。ひじりだつ人ざえある法師などは世におほかれどあまりこはこはしうけ遠げなるしうとくの僧都僧正のきはゝ世にいとまなくきすくにて物の心をとひあらはさむもことごとしく覺え給ふ。又その人ならぬ佛の御弟子の忌むことを保つばかりのたふとさはあれどけはひいやしくことばだみてこちなげにものなれたるいとものしくて、晝はおほやけごとに暇なくなどしつゝしめやかなるよひの程け近き御枕上などに召し入れ語らひ給ふにも、いとさすがに物むづかしくなどのみあるを、いとあてに心苦しきさましてのたまひ出づる言の葉も同じ佛の御敎をも耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き御さとりにはあらねどよき人は物の心をえたまふ方のいとことに物し給うければ、やうやう見馴れ奉り給ふたびごとに常に見奉らまほしうて、いとまなくなどしてほどふる時は戀しうおぼえ給ふ。この君のかくたふとがり聞え給へれば冷泉院よりも常に御せうそこなどありて、年比おとにもをさをさ聞え給はず、いみじく寂しげなりし御すみかにやうやう人め見る時々あり。をりふしにとぶらひ聞え給ふこといかめしうこの君もまづさるべきことにつけつゝをかしきやうにもまめやかなる