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ざととぢ籠りて習ひ讀み大方はかばかしくもあらぬ身にしも世の中をそむき顏ならむも憚るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ紛はしくてなむ過ぐしくるを、いとありがたき御有樣をうけ給はり傳へしより、かく心にかけてなむ賴み聞えさするなどねんごろに申し給ひし」など語り聞ゆ。宮「世の中をかりそめのことゝ思ひとり、いとほしき心のつきそむることも我が身にうれひある時、なべての世もうらめしう思ひ知るはじめありてなむ道心も起るわざなめるを、年若く世の中思ふにかなひ何事も飽かぬことはあらじと覺ゆる身のほどに、さはた後世をさへたどり知りたまふらむがありがたさ。こゝにはさべきにや。唯いとひ離れよと殊更に佛などのすゝめおもむけ給ふやうなる有樣にて、おのづからこそしづかなる思ひにかなひゆけど、のこり少き心地するにはかばかしくもあらで過ぎぬべかめるを、きしかた行く末更に得たどる所なく思ひ知らるゝを、かへりては心耻しげなるのりの友にこそはものし給ふなれ」などのたまひてかたみに御せうそこかよひ自らもまうで給ふ。げに聞きしよりも哀に住まひ給へるさまより始めていとかりなる草のいほりに思ひなしことそぎたり。同じき山里といへどさるかたにて心とまりぬべくのどやかなるもあるを、いとあらましき水の音波の響に物忘れうちし、よるなど心解けて夢をだに見るべき程もなげにすごく吹き拂ひたり。ひじりだちたる御ためにはかゝるしもこそ心とまらぬもよほしならめ、女君達何心地して過ぐし給ふらむ、世のつねの女しくなよびたる方はとほくやと推しはからるゝ御有樣なり。佛の御方にはさうじばかりを隔てゝぞおはすべかめる。すき心あらむ人は