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たるやまがつどものみまれになれ參り仕うまつる。峯の朝霧晴るゝ折なくて明し暮し給ふに、この宇治山にひじりだちたる阿ざ梨住みけり。ざえいとかしこくて世の覺えもかるからねどをさをさおほやけごとにも出で仕へず籠り居たるに、この宮のかく近き程に住み給ひて寂しき御さまにたふときわざをせさせ給ひつゝ法文などを讀み習ひ給へばたふとび聞えて常にまゐる。年比學び知り給へる事どもの深き心を解き聞かせ奉り、いよいよこの世のかりそめにあぢきなきことを申し知らすれば「心ばかりにはちすの上に思ひのぼり濁なき池にも住みぬべきをいとかく幼き人々を見捨てむうしろめたさばかりになむえひたみちにかたちをもかへぬ」などへだてなく物語し給ふ。この阿ざ梨は冷泉院にも親しく侍ひて御經など敎へ聞ゆる人なりけり。京に出でたるついでに參りて、例のさるべき文など御覽じて問はせ給ふこともあるついでに「八宮のいとかしこく內敎の御ざえさとり深く物し給ひけるかな。さるべきにて生れ給へる人にや物し給ふらむ。心深く思ひすまし給へるほど誠のひじりのおきてになむ見え給ふ」と聞ゆ。「いまだかたちはかへ給はずや。ぞくひじりとかこの若き人々のつげたなる哀なることなり」などの給はす。宰相の中將も御前に侍ひ給ひて、我こそ世の中をいとすさまじく思ひ知りながら行ひなど人に目留めらるゝばかりはつとめず、口惜しくて過しけれなど人知れず思ひつゝ、俗ながらひじりになり給ふ心のおきてやいかにと、耳留めて聞き給ふ。「出家の志はもとより物し給へるをはかなきことに思ひとゞこほり今となりては心ぐるしき女子どもの御うへをえ思ひ捨てぬとなむ歎き侍り給ふ」と奏す。さすがにも