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のやうにおはすれば、ふるき世の御寶物おほぢおとゞの御そうぶん何やかやとつきすまじかりけれど行くへもなくはかなくうせはてゝ御調度などばかりなむわざとうるはしくて多かりける。參り侍ひ聞え心よせ奉る人もなし。つれづれなるまゝにうたづかさの物の師どもなどやうの勝れたるを召しよせつゝはかなき御遊に心を入れおひ出で給へればその方はいとをかしく勝れ給へり。源氏のおとゞの御弟八宮とぞ聞えしを、冷泉院の春宮におはしましゝ時朱雀院の大后のよこざまにおぼし構へてこの宮を世の中にたちつぎ給ふべく我が御時もてかしづき奉り給ひけるさわぎに、あいなくあなたざまの御なからひにはさしはなたれ給ひにければいよいよかの御つぎつぎになりはてぬる世にてえまじらひ給はず。又この年比かゝるひじりになりはてゝ、今はかぎりとよろづをおぼし捨てたり。かゝる程に住み給ふ宮燒けにけり。いとゞしき世にあさましうあへなくてうつろひ住み給ふべき所のよろしきもなかりければ宇治といふ所によしある山里も給へりけるに渡り給ふ。思ひ捨て給へる世なれども今はと住み離れなむを哀におぼさる。あじろのけはひ近く耳かしがましき川のわたりにて靜なる思ひにかなはぬ方もあれどいかゞはせむ。花紅葉水の流れにも心をやるたよりによせていとゞしくながめ給ふより外のことなし。かく絕え籠りぬる野山の末にも昔の人ものし給はましかばと思ひ出で聞え給はぬをりなかりけり。

 「見し人も宿もけぶりになりにしをなどて我が身のきえのこりけむ」。生けるかひなくぞ覺しこがるゝや。いとゞ山重なれる御すみかに尋ね參る人もなし。あやしきげすなど田舍び