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きを、おほうへは近うも見ましかばとうちおぼしけり。大臣殿は唯この殿のひんがしなりけり。だい饗のえがの君達などあまたつどひ給ふ。兵部卿宮左のおほい殿ののりゆみのかへりだち、すまひのあるじなどにはおはしましゝを思ひて、今日のひかりとさうじ奉り給ひけれどおはしまさず心にくゝもてかしづき給ふ。姬君達をさるは心ざしことにいかでかと思ひ聞え給ふべかめれど、宮ぞいかなるにかあらむ御心もとめ給はざりける。源中納言のいとゞあらまほしうねびとゝのひ何事もおくれたる方なくものし給ふをおとゞも北の方も目とゞめ給ひけり。隣のかくのゝしりて行きちがふ車の音さきおふ聲々も昔のこと思ひ出でられてこの殿には物哀にながめ給ふ。「故宮うせ給ひてほどもなくこのおとゞの通ひ給ひし事いとあはつけいやうに、世人はもどくなりしかど、思ひも消えずかくてものしたまふもさすがさる方にめやすかりけり。さだめなの世や。いづれにかよるべき」などのたまふ。左の大殿の宰相中將大饗のまたの日ゆふつけてこゝに參り給へり。御息所里におはすると思ふにいとゞ心げさうそひて「おほやけのかずまへ給ふよろこびなどは何ともおぼえ侍らず。わたくしの思ふことかなはぬなげきのみ年月にそへて思う給へはるけむ方なきこと」と淚押しのごふもことさらめいたり。廿七八のほどのいと盛りに匂ひ花やかなるかたちし給へり。「見苦しの君達の世の中を心のまゝにおごりてつかさくらゐをば何ともおもはず過ぐしいますがらふや、故殿おはせましかばこゝなる人々もかゝるすさびごとにぞ心は亂らまし」とうち歎きたまふ。右兵衞督右大辨にて皆非參議なるをうれはしと思へり。侍從ときこゆめりしぞこのご