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 「流れてのたのめむなしき竹河によはうきものと思ひしりにき」。物哀なる氣色を人々をかしがる。さるはおり立ちて人のやうにも侘び給はざりしかど、人ざまのさすがに心苦しう見ゆるなり。「うち出で過ぐすこともこそ侍れ。あなかしこ」とて立つ程にこなたにと召し出づればはしたなき心地すれど參り給ふ。「故六條院のたうかのあしたに女がたにてあそびせられける、いとおもしろかりきと右のおとゞの語られし。何事もかのわたりのさしつぎなるべき人かたくなりにける世なりや。いと物の上手なる女さへ多く集りて、いかにはかなき事もをかしかりけむ」などおぼし遣りて、御琴ども調らべさせ給ひて箏は御息所琵琶は侍從にたまふ。和琴を彈かせ給ひてこのとのなどあそび給ふ。御息所の御琴の音まだかたなりなる所ありしを、いとよう敎へない奉り給ひてけり。今めかしう爪音よくてうたごくのものなど上手にいとよく彈き給ふ。何事も心もとなく後れたることは物し給はぬ人なめり、かたちいとをかしかるべしと猶心とまる。かやうなる折多かればおのづから氣遠からず見なれ給ふ。うたてなれなれしうなどは恨みかけねど、折々につけて思ふ心の違へるなげかしさをかすむもいかゞおぼしけむ、知らずかし。卯月に女宮生れ給ひぬ。ことにけざやかなる物のはえもなきやうなれど、院の御氣色に隨ひて右の大殿よりはじめて御うぶやしなひし給ふ所々おほかり。かんの君つと抱きもちてうつくしみ給ふに、疾う參り給ふべきよしのみあればいかのほどにまゐり給ひぬ。女宮一所おはしますにいと珍しう美しうておはすればいといみじう覺したり。いとゞ唯こなたにのみおはします。女御がたの人々「いとかゝらでありぬべき世