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 「生ける世のしには心にまかせねば聞かでややまむ君がひとこと。塚の上にもかけ給ふべき御心の程と思ひ給へましかば、ひたみちにも急がれ侍らましを」などあるに、うたてもいらへをしてけるかな、書きかへでやりつらむよと苦しげにおぼして、物ものたまはずなりぬ。おとなわらはめやすき限をとゝのへられたり、大方の儀式などは內に參り給はましに變ることなし。まづ女御の御方に渡り給ひてかんの君は御物語など聞え給ふ。夜更けてなむ上に參う上り給ひける。后、女御など皆年比經てねび給へるにいと美しげにて盛りに見所あるさまを見奉り給ふはなどてかはおろかならむ。花やかに時めき給ふたゞ人だちて心安くもてなし給へるさましもぞ、げにあらまほしうめでたかりける。かんの君を暫しさぶらひ給ひなむと心留めて思しけるに、いと迅くやをら出で給ひにければ口をしう心うしとおぼしたり。源侍從の君をば明暮お前に召しまつはしつゝ、げに唯昔の光源氏の生ひ出で給ひしに劣らぬ人の御覺えなり。院の內にはいづれの御方にも疎からず馴れまじらひありき給ふ。この御方にも心よせあり顏にもてなしてしたにはいかに見給ふらむの心さへそひ給へり。夕暮のしめやかなるに藤侍從とつれてありくにかの御方の御前近く見やらるゝ五葉に藤のいとおもしろく咲きかゝりたるを、水のほとりの石に苔をむしろにてながめ居給へり。まほにはあらねど世の中うらめしげにかすめつゝかたらふ。

 「手にかくるものにしあらば藤の花まつよりまさる色を見ましや」とて花を見上げたる景色などあやしく哀に心苦しくもおもほゆれば、我が心にあらぬ世のありさまにほのめか