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參らす。疎からず召し使はせ給へ」とて源少將兵衞佐など奉れ給へり。「情はおはすかし」とよろこび聞え給ふ。大納言殿よりも人々の御車奉れ給ふ。北の方は故おとゞの御女まきばしらの姬君なればいづ方につけてもむつましう聞え通ひ給ふべけれどさしもあらず。藤中納言はしもみづからおはして中將辨の君達諸共に事行ひ給ふ。殿のおはせましかばと萬につけて哀なり。藏人の君例の人にいみじき詞をつくして「今はかぎりと思ひ侍る命のさすがに悲しきを哀と思ふとばかりだに一言のたまはせば、それにかけ留められて暫しもながらへやせむなどあるを、もて參りて見れば姬君二所うち語らひていといたうくつし給へり。よるひる諸共にならひ給ひて中のとばかりへだてたる西東をだにいといぶせきものにし給ひてかたみに渡り通ひおはするを、よそよそにならむことをおぼすなりけり。心ことにしたて引き繕ひ奉りたまへる御さまいとをかし。殿のおぼしのたまひしさまなどをおぼし出でゝ、物哀なる折からにてとりて見給ふ。おとゞ北の方のさばかり立ち並びてたのもしげなる御中になどかうすゞろごとを思ひいふらむとあやしきにも、かぎりとあるを、まことにやとおぼしてやがてこの御文のはしに、

 「あはれてふ常ならぬ世のひとこともいかなる人にかくるものぞは。ゆゝしきかたにてなむほのかに思ひ知りたる」と書き給ひて「かう言ひやれかし」とのたまふを、やがて奉れたるを限なうめづらしきにも折をおぼしとむるさへいとゞ淚も留らず立ちかへり、「たが名はたゝじ」などかごとがましくて、