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紅梅

そのころ按察大納言と聞ゆるは故致仕のおとゞの次郞なり。うせ給ひにし右衞門督のさしつぎよ。童よりらうらうしう花やかなる心ばへものし給ひし人にてなりのぼり給ふ。年月にそへてまいていと世にあるかひあり。あらまほしうもてなし御おぼえいとやむごとなかりけり。北の方二人ものし給ひしを、もとよりのはなくなり給ひて、今ものし給ふは、後の大きおとゞの御むすめまき柱離れがたくし給ひし君を式部卿の宮にて故兵部卿の御子にあはせたて給へりしを、御子うせ給ひて後ち忍びつゝ通ひ給ひしかど、年月ふればえさしも憚り給はぬなめり。御子は故北の方の御腹にも二人のみぞおはしければさうざうしとて神佛に祈りて今の腹にぞ男君一人まうけ給へる。故宮の御かたみに女君一所おはす。隔てわかず何れをもおなじごと思ひ聞えかはし給へるを、おのおの御方の人などはうるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしき事も出でくる時々あれど、北の方いとはればれしう今めきたる人にて罪なく取りなし、我が御方ざまに苦しかるべき事をもなだらかに聞きなし、思ひなほし給へば聞きにくからでめやすかりけり。君達同じほどにすぎすぎおとなび給ひぬれば御裳など着せ奉り給ふ。七けんの寢殿廣く大きに造りて南面に大納言殿のおほい君、西に中の君、東に宮の御方と住ませ奉り給へり。大方にうち思ふ程は父宮のおはせぬ心苦しき