Page:Kokubun taikan 02.pdf/261

提供:Wikisource
このページは校正済みです

はやうのものとさのみうるはしうはとしづめ給へど、又さる御氣色あらむをばもてはなれてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづき聞え給ふ。六の君なむそのころ少しわれはと思ひのぼり給へるみこたちかんだちめの御心つくすくさはひにものし給ひける。院かくれ給ひて後さまざま集ひ給へりし御方々なくなく遂におはすべきすみかどもにおのおのうつろひ給ひしに花散里と聞えしは東の院をぞ御そうぶんの所にて渡り給ひにける。入道の宮は三條の宮におはします。いまきさきは內にのみさぶらひ給へば、院のうちさびしく人ずくなになりにけるを、右のおとゞ人のうへにていにしへのためしを見聞くにも生けるかぎりの世に心を留めてつくりしめたる人の家居の、名殘なくうちすてられて世のならひも常なく見ゆるはいと哀にはかなさ知らるゝを、我が世にあらむかぎりだに、この院あらさずほとりの大路などひとかげかれはつまじうとおぼしの給はせて、丑寅の町にかの一條の宮を渡し奉らせ給ひてなむ、三條殿と夜ごとに十五日づゝうるはしう通ひ住み給ひける。二條院とてつくりみがき六條院の春のおとゞとて世にのゝしりし玉のうてなも唯一人の御末のためなりけりと見えて、明石の御方はあまたの宮達の御うしろみをしつゝあつかひ聞え給へり。おほい殿はいづかたの御事をも昔の御心おきてのまゝに改めかはることなく、あまねき親心に仕うまつり給ふにも對の上のかやうにてとまり給へらましかば、いかばかり心をつくして仕うまつり見え奉らまし、遂にいさゝかも取りわきて我が心よせと見知り給ふべきふしもなくて過ぎ給ひにしことを、口惜しく飽かず悲しう思ひ出で聞え給ふ。天の下の人院