Page:Kokubun taikan 02.pdf/257

提供:Wikisource
このページは校正済みです

 「人こふる我が身も末になりゆけどのこりおほかる淚なりけり」とかきそへ給ふ。九月になりて九日おほひたる菊を御覽じて、

 「もろともにおきゐし菊の朝露もひとり袂にかゝるあきかな。神無月は大かたもしぐれがちなる比、いとゞながめ給ひて夕暮の空の氣色などもえもいはぬ心ぼそさにふりしかど」とひとりごちおはす。雲ゐをわたる雁のつばさもうらやましくまもられ給ふ。

 「大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬたまのゆくへたづねよ」。何事につけてもまぎれずのみ月日にそへておぼさる、五節などいひて世の中そこはかとなく今めかしげなる頃、大將殿の君達殿上し給ひて參り給へり。同じ程にて二人いとうつくしきさまなり。御をぢの頭中將藏人少將などをみにて靑摺のすがたども淸げにめやすくて、皆うち續きもてかしきつゝ諸共に參り給ふ。思ふ事なげなるさまどもを見給ふにいにしへあやしかりし日影のをりさすがにおぼし出でらるべし。

 「宮人はとよのあかりにいそぐけふ日かげもしらでくらしつるかな」。今年をばかくて忍び過ぐしつれば、今はと世を去り給ふべきほど近くおぼしまうくるに哀なることつきせず。やうやうさるべきことゞも御心のうちにおぼしつゞけて侍ふ人々にもほどほどにつけてものたまひなど、おどろおどろしく今なむ限りとしなし給はねど、近う侍ふ人々は御ほ意遂げ給ふべき氣色と見奉るまゝに、年の暮れゆくも心ぼそう悲しきことかぎりなし。落ちとまりてかたはなるべき人の御文どもやればをしとおぼされけるにや、少しづゝのこし給ひけるを、