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れぬなどにつけて思ひ出でらるゝことゞも多かり。いと暑きころ凉しき方にてながめ給ふに、池の蓮の盛なるを見給ふにいかにおほかるなどまづおぼし出でらるゝに、ほれぼれしくてつくづくとおはする程に日も暮れにけり。ひぐらしの聲はなやかなるに御前のなでしこの夕ばえを一人のみ見給ふには、實にぞかひなかりける。

 「つれづれとわがなきくらす夏の日をかごとがましき蟲の聲かな」。螢のいとおほう飛びちがふも、「夕殿に螢とんで」と例のふるごともかゝるすぢにのみ口なれ給へり。

 「夜をしる螢を見てもかなしきは時ぞともなきおもひなりけり」。七月七日も例にかはりたることおほく、御あそびなどもし給はでつれづれに詠めくらし給ひて星合見る人もなし。まだ夜ふかう一所起き居給ひて妻戶押しあけ給へるに前栽のつゆいとしげく渡殿の戶よりとほりて見渡さるればいで給ひて、

 「七夕の逢ふせは雲のよそに見てわかれの庭につゆぞおきそふ」。風の音さへたゞならずなり行く比しも、御法事のいとなみにてついたち比はまぎらはしげなり、今まで經にける月日よとおぼすにもあきれて明しくらし給ふ。御正日にはかみしもの人々皆いもひして、かの曼荼羅など今日ぞ供養せさせたまふ。例の宵の御おこなひに御手水まゐらする中將の君の扇に、

 「君こふる淚はきはもなきものを今日をばなにのはてといふらむ」とかきつけたるをとりて見給ひて、