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ふ。御いらへに「谷には春も」と何心もなく聞え給ふを、ことしもこそあれ心憂くもとおぼさるゝにつけては、その事のさらでもありなむかしと思ふに違ふふしなくてもやみにしかなと、いはけなかりし程よりの御有樣をいで何事ぞやありしとおぼし出づるには、まづそのをりかの折かどかどしうらうらうじう匂ひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉のみ思ひ續けられ給ふに、例の淚のもろさはふとこぼれ出でぬるもいと苦し。夕暮の霞たどたどしうをかしき程なれば、やがて明石の御方に渡り給へり。久しうさしものぞき給はぬに覺えなき折なれば打ち驚かるれど、さまようけはひ心にくゝもてつけて、猶こそ人には優りたれと見給ふにつけては、又かうざまにはあらでこそ故よしをももてなし給へりしかとおぼしくらべらるゝにも面影に戀しう悲しさのみ增れば、いかにして慰むべき心ぞといとくらべ苦し。こなたにてはのどやかに昔物語などし給ふ。「人をあはれと心留めむはいとわるかるべきことゝいにしへより思ひえて、すべていかなる方にもこの世にしふとまるべきことなくと心づかひをせしに、大方の世につけて身のいたづらにはふれぬべかりし比ほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらしゝに、命をもみづから捨つべく、野山の末にはふらかさむに殊なるさはりあるまじうなむ思ひなりしを末の世に今はかぎりの程近き身にてしもあるまじきほだし多うかゝづらひて、今まで過ぐしてけるが心弱うもどかしきことなど、さしてひとすぢの悲しさにのみはのたまはねど、おぼしたるさまのことわりに心苦しきをいとほしう見奉りて、大方の人めに何ばかり惜しげなき人だに心のうちのほだしおのづからおほう侍るなるを、まして