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大北の方常にうけはしげなることゞもをのたまひ出でつゝ、あぢきなき大將の御ことにてさへ怪しく恨みそねみ給ふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひあはせ給はむなど、おいらかなる人の御心といへどいかでかはかばかりのくまはなからむ。今はさりともとのみ我が身を思ひあがりうらなくて過しける世の人笑へならむことをしたには思ひつゞけ給へど、いとおひらかにのみもてなし給へり。

年もかへりぬ。朱雀院には、姬宮六條院にうつろひ給はむ御いそぎをし給ふ。聞え給ひつる人々いと口惜しくおぼしなげく。內にも御心ばへありて聞え給ひける程に、かゝる御定めを聞し召しておぼしとまりにけり。さるは今年ぞ四十ぢになり給ひければ、御賀のことおほやけにも聞し召し過ぐさず、世の中のいとなみにてかねてより響くを、ことのわづらひ多く、嚴めしきことは昔より好み給はぬ御心にて皆かへさひ申し給ふ。正月廿三日子の日なるに左大將殿の北の方若菜まゐり給ふ。かねて氣色も漏し給はでいといたく忍びておぼし設けたりければ俄にて得諫め返し聞え給はず。忍びたれどさばかりの御いきほひなれば、渡り給ふ儀式などいとひゞきことなり。南のおとゞの西のはなちいでにおましよそふ。屛風かべしろより始め新しく拂ひしつらはれたり。麗しくいしなどは建てず御地敷四十枚御しとね脇息などすべてその御具どもいと淸らにせさせ給へり。螺鈿の御厨子二よろひに御衣箱四つすゑて、夏冬の御さう束、かうご、藥の箱、御硯、ゆするつき、かゝげの箱などやうのもの、うちうちきよらを盡し給へり。御かざしの蓋にはぢんしたんを作り、珍しきあやめを盡し、同じきかねをも色づかひなしたる心ばへあり今めか