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ゝならばまちとり給ひては心よわくも」と、目留め給ひつべきおとゞの御心ざまなればめやすきほどに」と「度々のなほざりならぬ御とぶらひのかさなりぬる事」と悅び聞え給ふ。うすゞみとのたまひしよりは、今すこしこまやかにて奉れり。世の中にさいはひありめでたき人も、あいなう大かたの世にそねまれ、善きにつけても心のかぎりおごりて人のため苦しき人もあるを、あやしきまですゞろなる人にもうけられ、はかなくしいで給ふことも何事につけても世にほめられ、心にくゝ折ふしにつけつゝらうらうしくありがたかりし人の御心ばへなりかし。さしもあるまじきおほよその人さへその比は風の音蟲の聲につけつゝ淚おとさぬはなし。ましてほのかにも見奉りし人の思ひ慰むべき世なし。年比むつまじく仕うまつり馴れたる人々しばしも殘れる命うらめしき事を歎きつゝ尼になりこの世の外の山ずみなどに思ひたつもありけり。冷泉院のきさいの宮よりもあはれなる御せうそこ絕えず、盡きせぬ事ども聞え給ひて、

 「枯れはつる野邊をうしとやなき人の秋に心をとゞめざりけむ。今なむことわり知られ侍りぬる」とありけるを、物おぼえぬ御心にもうちかへし置きがたく見給ふ。いふかひありをかしからむ方のなぐさめにはこの宮ばかりこそおはしけれと、聊物まぎるゝやうにおぼしつゞくるにも淚のこぼるゝを、袖のいとまなくえかきやり給はず。

 「のぼりにし雲ゐながらもかへり見よわれあきはてぬ常ならぬ世に。おしつゝみ給ひても」とばかりうち眺めておはす。すくよかにもおぼされず、われながら殊の外にほれほれし