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かな、今はこの世に後ろめたき事殘らずなりぬ、ひた道に行ひにおもむきなむにさはり所あるまじきを、いとかくをさめむ方なき心まどひにては、願はむ道にも入りがたくやとやゝましきをこの思ひ少しなのめに忘れさせ給へと阿彌陀佛を念じ奉り給ふ。所々の御とぶらひうちをはじめ奉りて例の作法ばかりにはあらずいとしげく聞え給ふ。おぼしめしたる心のほどにはさらに何事も目にも耳にもとゞまらず、心にかゝり給ふ事あるまじけれど、人にぼけぼけしきさまに見えじ、今更に我が世の末にかたくなしく心弱きまどひにて世の中をなむ背きにけるとながれとゞまらむ名をおぼしつゝむになむ、身を心に任せぬなげきをさへうちそへ給ひける。致仕のおとゞ哀をも折過し給はぬ御心にてかく世にたぐひなく物し給ふ人のはかなくうせ給ひぬることを口をしく哀におぼして、いとしばしば問ひ聞え給ふ。昔大将の御母上うせ給へりしもこの比のことぞかしとおぼし出づるにいと物悲しく、そのをりかの御身を惜み聞え給ひし人の多くもうせ給ひにけるかな、後れ先だつ程なき世なりけりやなど、しめやかなる夕暮にながめ給ふ。空の氣色もたゞならねば御子の藏人の少將して奉り給ふ。哀なることなどこまやかに聞え給ひて、はしに、

 「いにしへの秋さへ今のこゝちしてぬれにし袖に露ぞおきそふ」。をりからに萬のふる事おぼし出でられて何となくその秋の事戀しうかきあつめ、こぼるゝ涙をはらひもあへ給はぬまぎれに、御かへし、

 「露けさはむかし今ともおもほえず大かた秋のよこそつらけれ。物のみ悲しき御心のま