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うせ給へりし時の曉を思ひ出づるにもかれは猶物のおぼえけるにや、月のかほのあきらかに覺えしを今夜は唯くれ惑ひ給へる。十四日にうせ給ひてこれは十五日の曉なりけり。日はいと花やかにさしあがりて野邊の露もかくれたるくまなくて世の中おぼしつゞくるにいとゞいとはしくいみじければ、おくるとてもいく世かはふべき。かゝる悲しさのまぎれに昔よりの御ほ意も遂げまほしくおもほせど、心よわき後のそしりをおぼせばこの程を過ぐさむとし給ふに胸のせきあぐるぞ堪へがたかりける。大將の君も御忌に罷り給ひてあからさまにもまかで給はず、明暮近くさぶらひて心苦しくいみじき御氣色をことわりに悲しく見奉り給ひて萬に慰め聞え給ふ。風野分だちて吹く夕暮に昔の事おぼしいでゝ、ほのかに見奉りしものをと戀しく覺え給ふに、又かぎりの程の夢の心ちせしなど人知れず思ひつゞけ給ふに、堪へがたく悲しければ、人めにはさしも見えじとつゝみて阿彌陀佛阿彌陀佛とひき給ふずゝの數にまぎらはしてぞ淚の玉はもてけち給ひける。

 「いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えしあけくれの夢」ぞなごりさへうかりける。やんごとなき僧どもさぶらはせ給ひて、定まりたる念佛をばさるものにて法華經など誦ぜさせ給ふ。かたがたいとあはれなり。臥しても起きても淚のひるよなくきりふたがりて明し暮し給ふ。いにしへより御身の有樣おぼしつゞくるに鏡に見ゆる影をはじめて人には異なりける身ながらいはけなき程より悲しく、常なき世を思ひしるべく佛などのすゝめ給ひける身を心づよくすぐして遂に來しかた行くさきもためしあらじと覺ゆる悲しさを見つる