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「かく何事もまだ變らぬ氣色ながら限りのさまはしるかりけるこそ」とて御袖を顏におしあて給へる程、大將の君も淚にくれて目も見え給はぬをしひてしをりあけて見奉るに、なかなか飽かず悲しき事たぐひなきに誠に心まどひもしぬべし。御髮の唯うちやられ給へる程こちたくきよらにてつゆばかり亂れたる氣色もなう艷々と美しげなるさまぞかぎりなき。火のいとあかきに御色はいとしろく光るやうにてとかくうちまぎらはす事ありし、うつゝの御もてなしよりもいふかひなきさまに何心なくて臥し給へる御有樣の飽かぬ所なしといはむも更なりや。なのめにだにあらずたぐひなきを見奉るに、死にいるたましひのやがてこの御からにとまらむとおもほゆるもわりなきことなりや。仕うまつりたる女房などの物おもほゆるもなければ、院ぞ何事もおぼしわかれずおぼさるゝ御心ちをあながちにしづめ給ひて限りの御ことゞもし給ふ。いにしへも悲しとおぼすことも數多見給ひし御身なれど、いとかうおりたちてはまだ知り給はざりけることを、すべてきしかた行くすゑたぐひなき心ちし給ふ。やがてその日とかくをさめ奉る。限りありける事なればからを見つゝもえ過ぐし給ふまじかりけるぞ心うき世の中なりける。はるばると廣き野の所もなく立ちこみて限りなくいかめしきさほふなれどいとはかなき烟にて程なくのぼり給ひぬるも例の事なれどあへなくいみじ。空をあゆむ心ちして人にかゝりてぞおはしましけるを見奉る人もさばかりいつかしき御身をと、物の心しらぬげすさへ泣かぬはなかりけり。御おくりの女房はまして夢路にまどふ心ちして車よりもまろび落ちぬべきをぞもてあつかひける。昔大將の君の御母君