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のすべきもあらむ。この世には空しき心ちするを佛の御しるし今はかの暗き道のとぶらひだに賴み申すべきをかしらおろすべきよし物し給へ。さるべき僧誰かとまりたる」などのたまふ御けしき心づよくおぼしなすべかめれど、御顏の色もあらぬさまにいみじくたへかね御淚のとまらぬをことわりに悲しく見奉り給ふ。「御ものゝけなどのこれも人の御心亂らむとてかくのみものは侍るを、さもやおはしますらむ。さらばとてもかくても御ほ意のことはよろしき事に侍るなり。一日一夜にても忌むことのしるしこそは空しからず侍るなれど、誠にいふかひなくなりはてさせ給ひて、後の御髮ばかりをやつさせ給ひても、ことなるかの世の御光ともならせ給はざらむものから、目の前の悲びのみまさるやうにて、いかゞ侍るべからむ」と申し給ひて御忌に籠り侍ふべき志ありてまかでぬ僧その人かの人などめしてさるべきことゞもこの君ぞ行ひ給ふ。年比何やかやとおほけなき心はなかりしかど、いかならむ世にありしばかりも見奉らむ、ほのかにも御聲をだに聞かぬことなど心にも離れず思ひ渡りつるものを、聲は遂に聞かせ給はずなりぬるにこそはあめれ、空しき御からにても今一度見奉らむの志かなふべき折は只今より外にいかでかあらむと思ふに、つゝみもあへずなかれて女房のある限り騷ぎまどふを「あなかま、しばし」としづめ顏にて御几帳のかたびらを、物のたまふまぎれに引きあけて見給へば、ほのぼのと明け行く光もおぼつかなければ大となぶら近くかゝげて見奉り給ふに、あかず美しげにめでたう淸らに見ゆる御顏のあたらしさに、この君のかく覗き給ふを見る見るあながちにかくさむの御心もおぼされぬなめり。